先天性臼蓋形成不全で両股関節手術、歩けるようになるまで

脚を手術した。

脚といっても股関節部分で、腰に近いところにある脚を動かすための骨だ。

正直、股関節の重要性とか全く意識したことは無かったし、強いて言うなら開脚が90度もできないくらい可動域が狭い自覚があったくらいだ。

歩くことは割と好きな方で、時間が許すのであれば交通費を浮かせるために1駅2駅歩くことはザラにあり、運動神経は悪くなかった。

 

大学生になり接客業を始めた。せわしなく店内を歩き回り、長いときには休憩をはさみ9時間ほど動き回った。

そんな日々を過ごしていると足に違和感を覚えるようになった。当初は苦学生の単純労働による疲労が足に出てきたくらいの認識だったが、無視できないほどの痛みになった。

整形外科を受診し、そこで先天性臼蓋形成不全であることを知った。

街の小さな整形外科では40~50歳頃に人工股関節にする手術をするしかない、それまではあまり負荷をかけないことと痛み止めで手を打つしかないとのことだった。今まで生きてきた倍の年月を痛みに耐えながら時を待たねばならないことに悲しくも思った。

まあでもそれしか方法がないのであれば仕方のないことだと受け入れた。

痛み止め生活を続けていたが効果が感じられなくなり、大きい病院を受診した。

するとどうだ、あと20年待たなくても手術できるというではないか。しかも人口むつではなく自分の骨を形成するとのことだった。

それはもう喜んだ。道が開けた気がした。手術の説明を受けたが喜びが勝ってイエスマンになっていた。痛みくらいどうってことない、少し耐えればすぐ普通の生活に戻れると信じきっていた。傷跡が大きいが本当にいいか何度も看護師に確認されたが、絶対に起こる嫌な出来事に向かって辛い日々を生きるくらいならましだと思った。

まとめてしまえば辛い期間も短く済む、その分辛かろうが問題ないと単純脳がそう判断した。

 

 

前泊し迎えた手術当日。「よくなるんだ!解放されるんだ!」と少し高揚もした。人生初の全身麻酔も楽しみだった。

 

台の上は冷たくて、かたくて、しらない大人がたくさんいて、よくわからなかった。

ちくっとしてちょっと嫌な気持ちになったから目をつむった。

 

起きた。起こされた。その瞬間、ありとあらゆるよくわからないものが一気に流れ込んできた。けれど視覚も聴覚も嗅覚も深いところにあって曖昧だった。

誰かが指を鳴らして合図でもしたかのように急に涙が出てきた。ただただ泣いた。成人した人間のくせに、目尻からつたう涙を止めることもできず、流れるまま病室に運ばれた。

だんだんと状況を整理できた。手術をして、脚が痛くて重くて動かすこともできないのだというとを。ちょっとどころではない。自分に理性と忍耐力がなければ、羞恥心と自意識がなければ全力で叫んでいた。はずだ。

たくさん点滴をして毛布をめいっぱいかけられた。

また曖昧になって、よくわからなくなっていって心地よくなってきたから目を瞑った。海底に落ちていくような感覚だった。これならいいやと思っていたのに、目を閉じないで!起きて!と声がうるさかった。本当にうるさかった。このままにさせてほしかった。

 

動かない脚はこんなにも重く、邪魔になるのだと。自分の一部だった必ずいるものがそうではなくなった感覚は不快極まりなかった。痛みは、想像を絶するものだった。よくわからなかった。向き合いたくなかったから、可能な限り眠った。この痛みは正直うまく説明できない。何度も何度も声を押し殺し、耐えた。炭治郎が言った「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」に一番共感できた。マジで「そう」だった。

嫌なことは早く、辛いことは短く、と後先考えず選択した自分は本当に早計で単純で能天気だった。片方を手術してから2週間後にもう一方も手術をした。1つ言えることは、緊急ではない限り両足をまとめて手術などするべきではないということだ。

 

もうひとつ、自分が無知であったことを述べるとすれば、股関節の骨切り手術をしたら歩けなくなることを知らなかったことだ。自分の骨を形成する手術というのは自分の骨を切り形を治すもので、簡単に言えば股関節骨折だ。

「めちゃくちゃ痛くてしんどい」と「めちゃくちゃ痛くてしんどくて歩行ができなくなる」は全然違う。歩けなくなるということは痛みに耐えられずということではない。切手形成した骨を壊さないよう、自身での移動は腕で体を少し動かすくらいで暫くは寝たきり生活であったゆえ、体を支えるための脚の筋肉が無くなったのだ。

脚の筋肉が無くなった自分は、図体のでかい意思疎通のできる赤子状態だった。

 

医師から許可が出てから少しずつ体重をかけはじめた。

寝たきりから自分の力で車いすに乗れるようになるまで1ヶ月くらいで(片足手術だったらもっと早かったかもしれない)、それから歩行器を使い始め、2週間ほど経ち松葉杖を使い始めた。歩行器は思ったより重量があって融通も利かないものだから結構大変に感じた。松葉杖は支える面積が狭い分はじめは難しかったが、あっという間になれた。

まだはやかったが、諸事情で退院することになった。

松葉杖にも慣れてきたころで、だいぶうまく歩けるようになったと自負があり、外に出られる喜びが大きかった。

コロナ禍であったため面会もできず、外出もできず、そんな状況からやっと出られる!!と嬉しかった。

数ヶ月ぶりに外に出て陽の光を浴びたて、空気を吸った。

外で感じる空気のリアルさが気持ちよかった。

 

井の中の蛙大海を知らず、とはまさに自分のことで、病院内を徘徊できるくらい松葉杖の使い方がうまくなったからと言って、外ではそうではないのだ。

ぼこぼこの道、じりじりと刺す日差し、字面が揺れるほどの熱気。そして何より自分の筋力と体力のなさを顕著に感じた。普通に歩ける人が5分で到着できるところ15分以上かかった。それだけでその日の体力を使い切った。

 

転院し、いくつかの薬を服用を続けながらリハビリをした。松葉杖を5ヶ月ほど使ったのちT字杖2本使いに移行した。3ヶ月後無理やり1本使いにした。T字杖1本生活は8か月続いている。不格好ではあるが5分程度ならば杖なしで歩けるようにもなった。

 

少しずつ、以前のように歩行ができる未来に近づいているものの、痛み止めは今も飲んでいるし、塗り薬や張り薬も必要だ。走ることはできないししゃがんだり胡坐などできないこともまだまだあるけれど、図体のでかい赤子から体の動かし方が下手な一般成人くらいにはなれた。

 

 

今健康な方々も、股関節周りのストレッチはしておいた方がいい。想像以上に重要な骨だ。ここを支える筋肉がしっかりついているかついていないかで何かあった時の選択肢は増えるし、年齢を重ねることで生じる不調もマシにできる可能性が十分にある。

あとは体幹レーニング。自分の筋肉の使い方が下手なこともあるが、普通にしているだけでは体幹はつかない。股関節を手術してから1年以上になるが、理学療法士体幹が老人並みと言われた。歩行には体幹も重要らしい。