わたしのちち
父は言った。
「子育ては投資ではない。必要経費である。」と。
私がその言葉を初めて聞いたのは二十歳のころだったと思う。
酒を飲みながら、祖父の話、兄弟の話、世界史、旅行した国の話を聞いた。
酒を飲んでいる時の父は饒舌で、たいてい気分がよさそうだった。
気分を損なってしまうことがないよう尽力したというのはあるが、酒を飲んでいる父親は話しやすかったように思う。
「お金がない」が両親の口癖だった。
男児を生んでこそ一人前というような、後継者の存在が重視される地方の田舎で育った。後継者が生まれるまでのタイミングで生を受けたわたしたちは”きょうだい”とされ生活を強いられた。実際のところ、生活は金銭的に厳しかった。身内の残した借金を肩代わりし、それでいて子育てをしていたのだ。食べ盛りの頃はとくに神経質になっている様子があった。それは”わたし”のせいではないけれど、”わたし”が存在していることが負担になっていることには違いなかった。
ちちには見栄と自尊心と育ってきた環境への名残があり、そして不器用だった。
単価の高い経験をさせること、またそれをさせてきた親であるという履歴を残しているようだった。なにかしらの習い事を始めさせ、外食にも連れて行った。自身が気に入らないことについては認めることは無く、ちちのいうことを聞かないときにはお気に入りのものを壊し、教育した。
そうして、金がないといわれつつも中途半端に贅沢を覚えた主観と客観の一致しない子供ができあがった。
ちちが嫌いだった。
やれ、やるな、やれ、やるな、いうことを聞け。大きな物音をよく立てた。
恐怖心と疲労感があった。
酒を飲むちちはもっと嫌いだった。
酒の用意をしろ、つまみをつくれなどと要求が増える。要求を聞かなければ小言を言われた。対峙することすら億劫な時は別室に移動し隠れていたが、それでも聞こえてくる不平不満に心がすり減った。
家を出た。
心が軽く、思考に余裕が出てきた。いろんなことを知った。
ちちとは当事者同士というより第三者目線で見て接することができるようになった。
その分落ち着いて話すこともできるようになり、家から出たい一心で可能な限り自立した。そうすると、一人のおとなとして働き稼ぐちちに尊敬の気持ちが芽生えた。
ちちのことが嫌いではなくなった。
ちちと酒を飲んだ何度目かのある時。
「子育ては投資ではない。必要経費である。」といっていた。
特異な才能もなく努力し続けられる意思もなく、不出来な子供であることを謝罪したわたしはその言葉に少し救われたような気がした。「必要経費なのだから負担に感じることは無い」という意味で大半を解釈した。
ちちはドライな人だ。
私がちちの身内から傷つくことを言われたと何気なく話した時には、そんなつもりで言ったはずではないと答えた。
けがをして体が不調のため家にお邪魔した時には、食事を用意するよう指示をする。
謝ることは全くと言っていいほどなく、感謝を述べることはほとんどない。
褒めることもなければ、関心を持つこともない。
ちちは人間味がある。
自分とは違う観点で笑い、よく水を差すような発言をするがお構いなしな態度を取り、機嫌をよく表現する。
二十数年生きてきて、ちちのことを少しは理解し、うまく関われるようになってきたような気がしていたが、どうもその考えは誤りであったように思えた。もう少し思い出して整理する必要がある。