寛骨臼回転骨切術 手術痕と股関節事情

あまりメジャーではないが、臼蓋形成不全の手術として寛骨臼回転骨切術がある。

簡単に言えば股関節骨折をして自力で治すものだ。

手術痕はどのくらいの大きさかというと、両手でお花のポーズをイメージすると一番わかりやすいと思う。

私は手のサイズが21㎝ほどなので42㎝くらいかな。

これが片足にひとつずつ。1年以上経つが、まだ赤みを帯びていて隆々としている。

 

手術をしてから大転子が広がったのか、正面から見た自分の股関節のサイズは大きくなった。レントゲンで確認してもらうと3㎝も大きくなっていて、手術痕云々よりもそちらの事実のほうが苦しい。見た目が土偶のようだったから。

筋トレすれば元の通りになると淡い期待を抱いてリハビリに励んでいるが、今のところまだ土偶だ。

鏡補正

どこをどう認識して”良い”と判断したのかは不明だが、今日の顔面は調子がいいなと思うことがある。あくまでも自己認識の範囲ではあるが、この顔だったらまだ大丈夫と思える。だがそれは鏡に映る自分を自分がそう見ただけで、実際とは大きく乖離しているのだろう。

鏡に映る自分は、肌の調子もよく浮腫みもなく、線対称に見えた。

少し気分がいい中で顔の仕上げをし外に出た。

 

 

窓ガラスなり他人がとった自分の写真を見て愕然とする。全然、普通に、ブスがいた。

ピアッサーでピアス開けてみた

これといった理由はないがピアスを開けた。

ドラッグストアに売っている片耳用のものをつかった。

一応YouTubeで下調べをすると、

①開けたい所にしるしをつける

②しるしに針先がつくようにセットする

③おもいきりはさむ

とのことだった。なんだ。思ってたより簡単じゃん。

どの位置に開けるか悩んだけど、まあ真ん中だろと思い、耳たぶの真ん中を狙った。

個人差はあるだろうが、耳の形状?なのか思ったより耳たぶのしるしが見えにくく時間がかかった。

驚いたのが、痛くはないが衝撃があったことと、使った瞬間の音がめちゃくちゃ大きかった。本当にうるさくて感想はそれだけといっても過言ではない。

急に音を感じたり、大きな音が鳴ったりするとめちゃくちゃびっくりする人間のため、びっくりした反動でしるしからずれていないか心配になった。

自分の反射神経よりもピアッサーが耳たぶを貫通させる速度のほうが上回っていたので安心した。

まだファーストピアスだけど思ったより似合っていてよかった。

先天性臼蓋形成不全で両股関節手術、歩けるようになるまで

脚を手術した。

脚といっても股関節部分で、腰に近いところにある脚を動かすための骨だ。

正直、股関節の重要性とか全く意識したことは無かったし、強いて言うなら開脚が90度もできないくらい可動域が狭い自覚があったくらいだ。

歩くことは割と好きな方で、時間が許すのであれば交通費を浮かせるために1駅2駅歩くことはザラにあり、運動神経は悪くなかった。

 

大学生になり接客業を始めた。せわしなく店内を歩き回り、長いときには休憩をはさみ9時間ほど動き回った。

そんな日々を過ごしていると足に違和感を覚えるようになった。当初は苦学生の単純労働による疲労が足に出てきたくらいの認識だったが、無視できないほどの痛みになった。

整形外科を受診し、そこで先天性臼蓋形成不全であることを知った。

街の小さな整形外科では40~50歳頃に人工股関節にする手術をするしかない、それまではあまり負荷をかけないことと痛み止めで手を打つしかないとのことだった。今まで生きてきた倍の年月を痛みに耐えながら時を待たねばならないことに悲しくも思った。

まあでもそれしか方法がないのであれば仕方のないことだと受け入れた。

痛み止め生活を続けていたが効果が感じられなくなり、大きい病院を受診した。

するとどうだ、あと20年待たなくても手術できるというではないか。しかも人口むつではなく自分の骨を形成するとのことだった。

それはもう喜んだ。道が開けた気がした。手術の説明を受けたが喜びが勝ってイエスマンになっていた。痛みくらいどうってことない、少し耐えればすぐ普通の生活に戻れると信じきっていた。傷跡が大きいが本当にいいか何度も看護師に確認されたが、絶対に起こる嫌な出来事に向かって辛い日々を生きるくらいならましだと思った。

まとめてしまえば辛い期間も短く済む、その分辛かろうが問題ないと単純脳がそう判断した。

 

 

前泊し迎えた手術当日。「よくなるんだ!解放されるんだ!」と少し高揚もした。人生初の全身麻酔も楽しみだった。

 

台の上は冷たくて、かたくて、しらない大人がたくさんいて、よくわからなかった。

ちくっとしてちょっと嫌な気持ちになったから目をつむった。

 

起きた。起こされた。その瞬間、ありとあらゆるよくわからないものが一気に流れ込んできた。けれど視覚も聴覚も嗅覚も深いところにあって曖昧だった。

誰かが指を鳴らして合図でもしたかのように急に涙が出てきた。ただただ泣いた。成人した人間のくせに、目尻からつたう涙を止めることもできず、流れるまま病室に運ばれた。

だんだんと状況を整理できた。手術をして、脚が痛くて重くて動かすこともできないのだというとを。ちょっとどころではない。自分に理性と忍耐力がなければ、羞恥心と自意識がなければ全力で叫んでいた。はずだ。

たくさん点滴をして毛布をめいっぱいかけられた。

また曖昧になって、よくわからなくなっていって心地よくなってきたから目を瞑った。海底に落ちていくような感覚だった。これならいいやと思っていたのに、目を閉じないで!起きて!と声がうるさかった。本当にうるさかった。このままにさせてほしかった。

 

動かない脚はこんなにも重く、邪魔になるのだと。自分の一部だった必ずいるものがそうではなくなった感覚は不快極まりなかった。痛みは、想像を絶するものだった。よくわからなかった。向き合いたくなかったから、可能な限り眠った。この痛みは正直うまく説明できない。何度も何度も声を押し殺し、耐えた。炭治郎が言った「俺は長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」に一番共感できた。マジで「そう」だった。

嫌なことは早く、辛いことは短く、と後先考えず選択した自分は本当に早計で単純で能天気だった。片方を手術してから2週間後にもう一方も手術をした。1つ言えることは、緊急ではない限り両足をまとめて手術などするべきではないということだ。

 

もうひとつ、自分が無知であったことを述べるとすれば、股関節の骨切り手術をしたら歩けなくなることを知らなかったことだ。自分の骨を形成する手術というのは自分の骨を切り形を治すもので、簡単に言えば股関節骨折だ。

「めちゃくちゃ痛くてしんどい」と「めちゃくちゃ痛くてしんどくて歩行ができなくなる」は全然違う。歩けなくなるということは痛みに耐えられずということではない。切手形成した骨を壊さないよう、自身での移動は腕で体を少し動かすくらいで暫くは寝たきり生活であったゆえ、体を支えるための脚の筋肉が無くなったのだ。

脚の筋肉が無くなった自分は、図体のでかい意思疎通のできる赤子状態だった。

 

医師から許可が出てから少しずつ体重をかけはじめた。

寝たきりから自分の力で車いすに乗れるようになるまで1ヶ月くらいで(片足手術だったらもっと早かったかもしれない)、それから歩行器を使い始め、2週間ほど経ち松葉杖を使い始めた。歩行器は思ったより重量があって融通も利かないものだから結構大変に感じた。松葉杖は支える面積が狭い分はじめは難しかったが、あっという間になれた。

まだはやかったが、諸事情で退院することになった。

松葉杖にも慣れてきたころで、だいぶうまく歩けるようになったと自負があり、外に出られる喜びが大きかった。

コロナ禍であったため面会もできず、外出もできず、そんな状況からやっと出られる!!と嬉しかった。

数ヶ月ぶりに外に出て陽の光を浴びたて、空気を吸った。

外で感じる空気のリアルさが気持ちよかった。

 

井の中の蛙大海を知らず、とはまさに自分のことで、病院内を徘徊できるくらい松葉杖の使い方がうまくなったからと言って、外ではそうではないのだ。

ぼこぼこの道、じりじりと刺す日差し、字面が揺れるほどの熱気。そして何より自分の筋力と体力のなさを顕著に感じた。普通に歩ける人が5分で到着できるところ15分以上かかった。それだけでその日の体力を使い切った。

 

転院し、いくつかの薬を服用を続けながらリハビリをした。松葉杖を5ヶ月ほど使ったのちT字杖2本使いに移行した。3ヶ月後無理やり1本使いにした。T字杖1本生活は8か月続いている。不格好ではあるが5分程度ならば杖なしで歩けるようにもなった。

 

少しずつ、以前のように歩行ができる未来に近づいているものの、痛み止めは今も飲んでいるし、塗り薬や張り薬も必要だ。走ることはできないししゃがんだり胡坐などできないこともまだまだあるけれど、図体のでかい赤子から体の動かし方が下手な一般成人くらいにはなれた。

 

 

今健康な方々も、股関節周りのストレッチはしておいた方がいい。想像以上に重要な骨だ。ここを支える筋肉がしっかりついているかついていないかで何かあった時の選択肢は増えるし、年齢を重ねることで生じる不調もマシにできる可能性が十分にある。

あとは体幹レーニング。自分の筋肉の使い方が下手なこともあるが、普通にしているだけでは体幹はつかない。股関節を手術してから1年以上になるが、理学療法士体幹が老人並みと言われた。歩行には体幹も重要らしい。

ダボダボの服が好きだ

SEVENTEENに憧れを抱いてからなのか、もともと抱いていた好みなのか不明だが見た目が変化した。

 

セミロングだった髪の毛はショートボブになり、ピアスを開け、zozoでダボダボしたデニムとビッグシルエットパーカーを買った。

デニムをネットで買うと若干丈が短くて失敗することばかりだったが、今回は及第点のものを購入でき満足している。ウエストも調整できるくらいの大きさでよかった。

何よりもよかったのがビッグシルエットパーカー。ファスナー付きでゆとりのあるシルエット、何より袖が長くていい。生地はペラペラだがその分着ることに躊躇することもない。

控えめそうな、綺麗目系の服が好まれやすく、そちらの方が順応しやすい見た目をしているから服が届いて実際に着てみるときには少しドキドキした。思ったよりも悪くなくてよかった。

こういう、窮屈さを感じない服を身に着けることでいつもより肩の力を抜くことができたような気がする。良い出会いだった。

痩せたければ大根の汁物を飲め

辛ラーメンと酒と揚げ物をやめ、納豆豆腐卵メインのたんぱく質と雑穀米、たくさんの汁物をとる生活にシフトして10日間ほど経った。

きっかけは、輪郭がブルドックのそれと対峙し顔面の肥大化を認めざるを得なかったからだ。

 

酒と暴飲暴食をやめ、大根の入った汁物を飲むようになってから体が少し軽くなった。

軽くなったというのは数字としてもそう(1.5㎏減)であるのと、体感として体のあちこちについけていた重石が無くなったようだ。

 

大根の汁物のポイントとしては大きめの短冊切り、もしくはいちょう切りにすること。

大根の千切りはおすすめしない。大きく切ることで食べてる自覚をさせることができ、それが割と重要な気がしている。

本当ならば塩分とか気にして薄味にするのが良いんだろうけど、自分がある程度満足できる味付けにした方が続くと信じている。今のところまだ継続出来ている。

 

美味しかったスープのレシピ記録

☆大根スープ 分量

ざく切りにしたキャベツ:鍋に入る限界

大きめに切ったいちょう切りの大根:鍋に入る限界

エリンギ:1パック 切り方・割き方は好み

ウインナー:あると美味しさが100倍になる

コンソメ:キューブ適量

塩:上記入れて煮込んだ後、薄く感じたら適量

 

個人的にとても好みのスープだった。野菜のうまみ甘みがめちゃくちゃ出てすっと体にはいって行く感覚があった。

安くなっていたので久々にウインナーを買ったけど、こんなに少なかったっけ。。。

1本1本も小さいし量も5本しか入っていない。昔10本弱入っていませんでした??

願望かもしれないけど。

まあでもウインナーを入れることでうまみ増幅しました、ありがとうございます。

あとキムチ鍋風味にしてもおいしい。

 

ここ数日停滞期で体重の変化がなかった。今朝も変わらないだろうなと思っていたが0.5㎏減っていて驚いた。10日間くらいで2㎏減るんだ。人間の体面白いな。

2㎏減ったら輪郭がブルドックからパグになった。気がする。

マスク生活で輪郭がブルドックになった

もともと表情筋の使い方が上手ではなかった。

マスク生活もかれこれ3年がたち、すっかり顔の一部になった。

「マスクを外した後」の自分の顔面に耐えられず、気の置けない人であっても少しためらう。知人・他人であればかなりためらう。

 

BMI19の高体脂肪の自分は浮腫みやすく、且つ太りやすい。

週に3日、夜ごはんは辛ラーメンとビールやチューハイ等のアルコール。

週末は高タンパク高脂質とアルコール。

辛ラーメンに野菜入れてるからOK☆でも何でもない。

食物繊維をいくら摂ろうが痩せるはずもなく、ただただ太る。

体重がキープされていようが筋肉が減り脂肪が増えているので見た目的に太る。

 

身支度を整えようと鏡を見た瞬間愕然とした。

鏡補正でもカバーできないほど顔に肉がついている。

顔の輪郭がぼけている。顔半身がたるんでいる。

表情筋を使わないことと日ごろの暴飲暴食で”誤魔化しのきかない肥大化した顔面”がそこにあった。

鏡に映っていたのは、ブルドックになりきれなかった、愛嬌と可愛げのない、人間だった。

 

 

体重計に乗るとBMIは20弱、相変わらずの高体脂肪率。ただただ脂肪が増えたという事実を突きつけられ、決心がついた。

食生活を見直すこと、部屋の模様替えをした。

クローゼットにしまっていた全身鏡を移動させ、体型がいつでも見られるようにした。

食事は揚げ物と酒、辛ラーメンやめた。酒をやめたというのを捕捉すると1人で家飲みをすることをやめた。

汁物をたくさん作った。タンパク質は卵、納豆、豆腐をメインにした。

米は白米と丸麦と楽天で購入した雑穀米を混ぜて食べた。プチプチした食感があると楽しくていい。

野菜は大根、キャベツ、えのきとマイタケをよく使った。

肉をあまり買わないこと、酒を買わないことで若干食費が安くなった。アルコールによる食欲増進もなくなり暴飲暴食もしなくなった。

この生活で健康面の改善を実感できたのは大根を食べることだ。

大根と梅干を煮込むレシピが「毒流し」として便秘に効果的というものを拝見したことがあるが、梅干しは高いし、あまり食欲がそそられなかったから普通にコンソメスープとかにした。十分だった。十分すぎるほどだった。それからは毎日少しでも大根を食べるようにしている。

ダイエットに大根、これはマジだ。

 

1週間で2キロくらい減った。

毎日鏡を見ていると認知が衰えるのか、顔面ブルドックがましになったように見えた。

この大きな勘違いを瞬時に解消する方法がある。

マスクした状態の自分を鏡でじっと見る。じっっっっと見た後マスクを外すのだ。

マスクを外すことに恐怖を覚えているということは、マスクをした状態の自分がマスクを外す前の自分よりもマシに見えているマスク補正がかかっており、自分の理想の顔半身イメージがあるということだ。

遺憾ながら、マスク補正輪郭イメージのおかげで自分の輪郭がブルドックのままか否かの判断基準になっている。

 

今日はまだブルドックだ。